歌川広重『東海道五十三次』入門|江戸のロードムービーと呼びたい浮世絵の魅力を徹底解説

江戸時代の人も、旅行が大好きでした。伊勢参りや京見物は庶民にとって一生に一度の大イベント。なかでも東海道は、日本で一番にぎわう街道です。その旅への憧れをまるごと絵にして大当たりしたのが、歌川広重の「東海道五十三次」でした。

日本橋を朝に発って、品川、箱根、蒲原、庄野……と宿場を一枚ずつたどり、終点の京都へ。順番に眺めていくと、旅の時間が一本の映画みたいに流れていきます。私はこれを勝手に「江戸のロードムービー」と呼んでいます。

浮世絵にくわしくなくても大丈夫。広重がどんな人物だったかから、絵の見どころ、そしてゴッホや印象派へ与えた影響まで、順に見ていきましょう。

歌川広重『東海道五十三次之内 日本橋』
歌川広重『東海道五十三次之内 日本橋』

歌川広重とはどんな絵師?

歌川広重(1797-1858)は、江戸の定火消同心、つまり今でいう消防士の家に生まれました。幼くして両親を亡くし、家業を継ぎながら浮世絵師・歌川豊広に入門するという、二足のわらじの修業時代を送ります。

若い頃は役者絵や美人画を描いていましたが、これが鳴かず飛ばず。風景画に本腰を入れたのは30代半ばで、絵師としてはかなり遅い。ところがその「東海道五十三次」が大当たりして、一気に風景画の第一人者へと押し上げられます。要するに遅咲きです。

「東海道五十三次」とはどんな作品?

「東海道五十三次」は、江戸・日本橋から京都・三条大橋までの東海道に置かれた53の宿場を描いた連作の浮世絵です。出発点の日本橋と終着点の京都を加えて全55枚。版元の名前から「保永堂版」と呼ばれるシリーズが最も有名です。

第一図の「日本橋」は、朝焼けの空の下、木戸が開いたばかりの橋を大名行列が渡り、魚河岸帰りの商人たちとすれ違う場面。「さあ、旅が始まる」という高揚感に満ちた、映画でいえばオープニングシーンにあたる一枚です。

当時は『東海道中膝栗毛』が大ベストセラーになるなど、空前の旅ブーム。実際には旅に出られない人々も、広重の絵を眺めて旅した気分を味わいました。今でいう旅行番組や旅系動画のような楽しまれ方をしたわけです。

雨、雪、夜——「天気を描く」天才

広重の真骨頂は、風景そのものよりも「風景を包む空気」を描いたことにあります。とりわけ雨と雪の表現は、世界の絵画史でも屈指と評されるほどです。

「庄野 白雨」——突然の夕立

シリーズ中の傑作との呼び声が高いのが「庄野 白雨」です。白雨とはにわか雨のこと。急な坂道で夕立に襲われ、駕籠かきや旅人があわてて駆け出す一瞬をとらえています。斜めに走る雨の線、風にしなう竹やぶの影。見ていると、雨の音や湿った空気まで伝わってくるようです。

「蒲原 夜之雪」——静寂の雪景色

もう一枚の最高傑作が「蒲原 夜之雪」です。しんしんと雪が降り積もる夜の宿場を、人影がひっそりと歩いていく。音がすべて雪に吸い込まれたような静けさが画面を支配します。実は蒲原(現在の静岡市)は温暖で、めったに雪の降らない土地。この光景は広重の想像だといわれています。事実を写すのではなく、詩をつくるように風景を描く——広重の芸術家としての本質がよく表れた一枚です。

北斎とのライバル関係

広重が「東海道五十三次」を世に出す少し前、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」が大ヒットしていました。「神奈川沖浪裏」に代表される、大胆な構図と力強い造形。若き広重にとって、北斎は超えるべき巨大な壁でした。

二人の作風は対照的です。北斎の風景がダイナミックな「動」の絵だとすれば、広重は抒情的な「静」の絵。北斎が自然の驚異とかたちの面白さを追求したのに対し、広重はそこに生きる人々の営みと、季節や天候の移ろいを描きました。北斎という先行者がいたからこそ、広重は自分だけの道を見つけられたともいえます。同じ風景画という土俵で競い合った二人が、浮世絵の黄金時代を築いたのです。

海を渡った広重——ゴッホと印象派への影響

19世紀後半、開国した日本から浮世絵がヨーロッパへ渡ると、「ジャポニスム」と呼ばれる日本美術ブームが巻き起こります。その中心にいた絵師のひとりが広重でした。

有名なのは、ゴッホが広重の版画を油絵でそっくり模写したことです。模写された「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」は、正確には「東海道五十三次」ではなく広重晩年の連作『名所江戸百景』の作品ですが、ゴッホがいかに広重に心酔していたかを物語るエピソードです。降る雨をそのまま無数の線で描くという発想は、当時の西洋絵画には存在しないものでした。

モネは自宅に浮世絵を集め、日本風の庭まで造りました。大胆な構図の切り取り方、平らな色面、季節や天候への繊細なまなざし。広重が磨き上げた表現は、印象派の画家たちに新しい絵画の可能性を示したのです。

よくある質問

Q. 「五十三次」なのに55枚あるのはなぜ?
五十三次とは東海道の53の宿場のことです。シリーズには出発点の日本橋と終着点の京都(三条大橋)が加わるため、全部で55枚になります。

Q. 本物はどこで見られる?
浮世絵は版画なので同じ図柄が複数現存し、国内外の多くの美術館が所蔵しています。静岡県の東海道広重美術館や東京の浮世絵専門の美術館などで見られますが、作品保護のため展示替えが多いので、公式サイトで最新情報を確認してから訪れるのがおすすめです。

Q. 広重は実際に東海道を旅したのですか?
幕府の行列に同行して京都まで旅し、その写生をもとに描いたという伝承があります。ただし近年は疑問視する説もあり、絵本など他の資料を参考にした宿場もあると考えられています。実景と想像を自在に織り交ぜるところも、広重の魅力のひとつです。

まとめ

ざっとおさらいします。

  • 「東海道五十三次」は日本橋から京都までを描いた全55枚の連作
  • 雨の「庄野」、雪の「蒲原」——天気と空気を描かせたら広重は絵画史でも屈指
  • 先を行く北斎と競り合いながら、浮世絵風景画の黄金時代をつくった
  • そのゴッホが模写し、モネら印象派にも影響を与えた

まずは有名な「庄野 白雨」の一枚だけでも、大きな画面でじっくり見てみてください。斜めの雨の線が動いて見えたら、もう広重の術中です。

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