『ラオコーン』の腕は400年間まちがっていた——ローマの葡萄畑から出た彫刻と、石材置き場の片腕

『ラオコーン』紀元前1世紀〜紀元後1世紀ごろ、ヴァチカン美術館(現在の姿)
『ラオコーン』紀元前1世紀〜紀元後1世紀ごろ、ヴァチカン美術館(現在の姿)

1506年1月、ローマ。

町はずれの葡萄畑で、土を掘り返していた男のシャベルが、何か硬いものに当たりました。掘り広げていくと、白い大理石の人の肩が出てくる。次に、苦しげにのけぞる男の顔。その体には、太い蛇が何重にも巻きついていました。

知らせはすぐに、教皇ユリウス2世のもとへ届きます。教皇は建築家のジュリアーノ・ダ・サンガッロを現場へ送り、サンガッロは、たまたま一緒にいた30歳の彫刻家を連れていきました。ミケランジェロです。

穴の底をのぞき込んだサンガッロは、すぐに言ったと伝えられます。これはプリニウスが書いていた、あのラオコーンだ、と。

古代ローマの記録にしか残っていなかった伝説の彫刻が、1000年以上の眠りから目を覚ました瞬間でした。ただし、その像には、いちばん大事な腕が欠けていました。

1400年前の本に書かれた「最高傑作」が、本当に出てきた

ベルジュレ『ラオコーンの発見』1834〜35年。教皇ユリウス2世が、掘り出された像を見に訪れる場面を想像で描いたもの
ベルジュレ『ラオコーンの発見』1834〜35年。教皇ユリウス2世が、掘り出された像を見に訪れる場面を想像で描いたもの

サンガッロがすぐに像の名前を言い当てられたのには、理由があります。

古代ローマの学者プリニウスは、1世紀に書いた百科事典『博物誌』の中で、この彫刻について触れていました。皇帝ティトゥスの宮殿にあるラオコーンの像は、あらゆる絵画や彫刻にまさる作品である。作者はロードス島の3人の彫刻家、ハゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスである、と。

ルネサンスの芸術家たちにとって、古代は手本そのものでした。その古代の人が「最高」と書き残した作品が、本当に地面の下から出てきた。興奮は相当なものだったはずです。

像の人気ぶりを伝える話があります。美術家の伝記を書いたヴァザーリによれば、建築家ブラマンテが、この像を蝋で写す腕比べを若い彫刻家たちに競わせ、審査をラファエロに任せたといいます。勝ったのはヤコポ・サンソヴィーノという若者でした。ミケランジェロも、ねじれ、もがく人体の表現に強い刺激を受けたと考えられています。発見の翌々年から彼が描き始めたシスティーナ礼拝堂の天井には、身をよじる力強い人物が数多く登場します。

教皇はすぐにこの像を買い取り、ヴァチカンの「ベルヴェデーレの中庭」に飾らせました。ここが、今のヴァチカン美術館の始まりの一つとされています。

木馬を疑った神官と、2匹の大蛇

では、何が彫られているのか。

題材は、ギリシャ神話のトロイア戦争です。ギリシャ軍は、トロイアの町の前に巨大な木馬を残して、撤退したふりをします。トロイアの人々が木馬を町に引き入れようとしたとき、ただ一人、反対した男がいました。神官のラオコーンです。ギリシャ人の贈り物は信用するな。そう言って、木馬に槍を投げつけた。

ところが、ギリシャ側に味方する神々の怒りを買い、海から現れた2匹の大蛇が、ラオコーンと2人の息子に襲いかかります。

彫刻は、その最期の瞬間をとらえています。

中央の父親は、祭壇に腰を落としながら、全身の筋肉をこわばらせて蛇を引きはがそうとしている。顔は天を仰ぎ、眉は苦痛にゆがむ。左の息子はすでに蛇に胸を噛まれ、力が抜けかけている。右の息子は、足に絡んだ蛇をほどこうとしながら、父のほうを振り返っている。

3人の体が、蛇の太い胴でひとつながりに縛られ、どこから見ても、もがく動きが止まらない。

18世紀のドイツの美術史家ヴィンケルマンは、ギリシャ美術を「高貴な単純さと静かな偉大さ」と評し、この像をその例に挙げました。極限の苦しみの中でも、口を大きく開けて叫んではいない、というのです。一方、同じ頃の批評家レッシングは、この像を手がかりに、詩と彫刻では表現できることが違う、という長い論文を書いています。

ひとつの像が、ヨーロッパの美術論の出発点になったわけです。

腕はまっすぐ天を指していた——400年続いた「まちがい」

19世紀に撮影された『ラオコーン』(シャルル・スーリエ撮影)。父親の右腕が、蛇をつかんで高く天へ伸ばされている
19世紀に撮影された『ラオコーン』(シャルル・スーリエ撮影)。父親の右腕が、蛇をつかんで高く天へ伸ばされている

発見されたとき、父親の右腕は、肩の先から失われていました。2人の息子の腕も、一部が欠けていました。

欠けた腕はどんな形だったのか。

芸術家たちのあいだで、議論が起きます。腕を蛇ごと天へ高く突き上げていたはずだ、という意見が多数でした。英雄的で、劇的で、見栄えがする。ミケランジェロは、腕はむしろ後ろへ曲がっていたのではないか、と考えていたと伝えられますが、少数意見にとどまりました。

1530年代、ミケランジェロの助手を務めた彫刻家モントルソーリが、天を指す腕を補って取りつけます。その後も何度か修復の手が入りましたが、腕はずっと伸びたままでした。

上の写真は、19世紀に撮られたものです。父の右腕は、蛇をつかんだまま、まっすぐ天へ伸びている。両脇の息子たちの腕も、補われた形で高く上がっています。

ナポレオンがこの像をパリへ持ち去ったときも、取り戻されてローマに帰ってきたときも、ラオコーンはこの姿でした。何世代もの画家が、この腕の伸びた像を手本にデッサンを重ねています。

私たちが教科書や美術書で見てきた「ラオコーン」も、長いあいだ、この姿だったのです。

石材置き場の片腕——1905年の発見と、曲がった肘

1905年、ローマ。

考古学者で美術商のルートヴィヒ・ポラックが、町の石材置き場で、大理石の腕を見つけました。肘のところで、ぐっと後ろへ曲がった右腕です。筋肉の盛り上がりや大理石の質が、ラオコーンの像とよく似ている。ポラックはこの腕をヴァチカンに寄贈します。

それが本当にラオコーンの腕なのか、確かめられたのは半世紀後でした。

1950年代の修復で、それまで取りつけられていた後世の腕が外され、ポラックの見つけた腕が合わされます。大理石の質も、筋肉の続き方も、本体のものと判断されたのです。

現在の像を、もう一度、記事の冒頭の写真で見てください。父親の右腕は、天へ伸びてはいません。肘で折れ曲がり、手は頭の後ろへ回っている。蛇と戦って勝ち誇る英雄ではなく、締めつけられ、力尽きかけている人間の姿です。

ミケランジェロの推測は、当たっていました。

1506年の冬、葡萄畑の穴の底をのぞき込んだ30歳の彫刻家の目は、450年たってから、ようやく正しかったと認められたことになります。

よくある質問

Q. 『ラオコーン』はどこで見られますか?
ローマのヴァチカン美術館にあります。ピオ・クレメンティーノ美術館の八角形の中庭に展示されています。開館日や予約の方法は、公式サイトで最新の情報を確認してください。

Q. ヴァチカンの像は、ギリシャ時代の作品そのものですか?
制作年代については、ギリシャのブロンズ像を古代ローマ時代に大理石で写したものだという説と、ローマ時代にこの形で作られたオリジナルだという説があり、決着していません。

まとめ

  • 『ラオコーン』は1506年、ローマの葡萄畑から発見され、プリニウスが絶賛した作品だとすぐにわかった
  • 木馬を疑ったトロイアの神官と2人の息子が、大蛇に襲われる場面を彫ったもの
  • 失われた右腕は、天を指す形で補われ、400年以上その姿で展示された
  • 1905年に見つかった曲がった腕が、1950年代の修復で本来の腕として戻された

伸びた腕のラオコーンは、戦う英雄でした。曲がった腕のラオコーンは、敗れていく人間です。腕一本の角度で、像の物語はまるで逆になります。

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