ピアノはなぜ「ピアノ」と呼ばれるのか?300年前、チェンバロ職人が足した「弱い音」

グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ。
舌をかみそうなこの言葉が、ピアノの最初の呼び名です。イタリア語で「弱い音と強い音が出せるチェンバロ」。長すぎたので「ピアノフォルテ」に縮まり、さらに後ろが落ちて「ピアノ」になりました。
つまりピアノとは、「弱く」という意味です。
楽器の王様と呼ばれ、コンサートホールを一台で満たす楽器の名前が、なぜ「弱く」なのか。300年前のフィレンツェで、一人の職人が何に困っていたのかを知ると、この名前がそのまま発明の中身だとわかります。
チェンバロは、どんなに強く叩いても同じ音しか出なかった

ピアノが生まれる前、鍵盤楽器の主役はチェンバロでした。英語ではハープシコード。バッハやヴィヴァルディの時代の、あの銀色にきらめく音の楽器です。
形はグランドピアノによく似ています。違うのは、音の出し方です。
チェンバロは、弦を「はじき」ます。鍵盤を押すと、奥で木の棒が持ち上がり、そこに付いた鳥の羽軸の小さな爪が、弦をピンとひっかく。ギターを爪で弾くのと同じ理屈です。
この仕組みには、どうにもならない弱点がありました。
鍵盤をそっと押しても、思いきり叩いても、爪が弦をはじく強さは変わらない。音量が変えられないのです。だんだん大きく、ふっと小さく、という歌うような表現ができません。作曲家たちは音の数を増やしたり、鍵盤を2段にして切りかえたりと、工夫で乗りきっていました。
指の力で強弱がつく鍵盤楽器も、あるにはありました。クラヴィコードです。こちらは金属の小片で弦を下から突き上げます。ただ、音が小さすぎた。隣の部屋では聞こえないほどで、人前の演奏には向きません。
強弱がつけられて、しかも広間に響く鍵盤楽器は作れないか。
バイオリンや歌なら当たり前にできることが、鍵盤だけはできなかった。この宿題に答えを出したのは、作曲家でも演奏家でもなく、楽器の修理係でした。
メディチ家の楽器係クリストフォリは、弦を「叩いて逃げる」ことを考えた

バルトロメオ・クリストフォリは1655年、北イタリアのパドヴァに生まれました。
腕のいいチェンバロ職人だった彼を、1688年、フィレンツェのメディチ家の王子フェルディナンドが雇い入れます。音楽好きの王子は楽器を何十台も持っていて、その調律と修理と新作を一手に任せる人間が必要でした。33歳の職人は、気が進まないまま引き受けたと伝えられます。
宮廷の工房で、彼は宿題に取り組みました。
はじくから強弱がつかない。ならば、叩けばいい。小さなハンマーで弦を打てば、強く押せば強く、そっと押せば弱く鳴るはずです。
ところが、話はそう簡単ではありません。
ハンマーが弦に触れたままだと、弦の振動を止めてしまい、音が鳴らない。打った瞬間に、ハンマーは弦から離れなければならないのです。しかも、跳ね返ったハンマーがもう一度弦に当たってもいけない。すぐ次の音を弾けるよう、元の位置に素早く戻る必要もある。
クリストフォリの答えは、ハンマーを「投げる」ことでした。
鍵盤を押すと、てこの仕掛けがハンマーを弦に向かって放り上げる。ハンマーは最後の数ミリを自分の勢いだけで飛び、弦を打って、すぐに落ちる。落ちてきたハンマーは受け止められ、二度打ちしない。鍵盤から指を離せば、布を貼った部品が弦に触れて音を止める。
この「叩いて逃げる」仕組みは、現代のグランドピアノの中にも、改良を重ねた形でそのまま入っています。
1700年のメディチ家の楽器目録に、クリストフォリの新しい楽器が記録されています。1711年には文筆家のマッフェイが雑誌で図解つきで紹介し、そこに書かれたのが、冒頭の長い名前でした。
最初の写真が、現存する最古のピアノです。1720年製。鍵盤は54鍵で、今の88鍵よりだいぶ狭い。外見はチェンバロと見分けがつきません。私はこの地味さが好きです。世界を変える発明が、前の時代の服を着て立っている。
発明者の生前、この楽器はほとんど売れませんでした。作るのが難しく、高価で、音はチェンバロより地味だったからです。クリストフォリは1731年、76歳で亡くなります。現存する彼のピアノは、世界に3台だけです。
バッハに酷評され、ベートーヴェンに壊され、ピアノは鉄の骨を手に入れた

イタリアで芽が出なかった発明は、アルプスを越えてドイツで育ちます。
マッフェイの記事のドイツ語訳を読んだオルガン職人ジルバーマンが、1730年代にピアノを作りはじめました。試し弾きを頼まれたのが、J.S.バッハです。感想は手厳しいものでした。鍵盤が重い。高い音が弱い。
ジルバーマンは腹を立てながらも、改良を続けます。1747年、バッハがプロイセンのフリードリヒ大王の宮殿を訪ねたとき、王が集めていたジルバーマンのピアノを弾き、今度は認めたと伝えられます。
ここから先は、作曲家と職人の追いかけっこです。
- モーツァルトは21歳のとき、ドイツの職人シュタインのピアノに出会い、その反応のよさを父への手紙で絶賛しました。彼のピアノ協奏曲は、この軽やかな楽器のために書かれています
- ベートーヴェンは楽器に満足しませんでした。もっと広い音域を、もっと大きな音を。激しい演奏で弦を切り、ハンマーを折ったという証言がいくつも残っています。メーカーは彼に合わせて鍵盤を増やし、1818年にはロンドンのブロードウッド社が最新の一台を贈りました
- リストの時代、演奏会場は貴族の広間から大ホールへ移ります。木の枠では弦の張力に耐えられなくなり、19世紀のうちに鋳鉄のフレームが標準になりました
現代のグランドピアノには、約230本の弦が張られています。それを引っぱる力の合計は、およそ20トン。クリストフォリの細い木の箱では、一瞬でつぶれる力です。
ハンマーも変わりました。クリストフォリは紙を巻いた筒に革を貼っていましたが、今は羊毛のフェルトです。
それでも、鍵盤を押す、ハンマーが飛ぶ、弦を打ってすぐ離れる、という順番は300年前と同じです。
よくある質問
Q. 「フォルテピアノ」と「ピアノ」は違う楽器ですか?
同じ楽器の古い形と新しい形です。現在は、18世紀から19世紀前半の、木のフレームで作られた初期のピアノを「フォルテピアノ」と呼び分けるのが一般的です。音は軽く、減衰が速く、モーツァルトの時代の響きが聴けます。
Q. クリストフォリのピアノの音は、今でも聴けますか?
1720年製の楽器は演奏可能な状態に修復されており、所蔵するメトロポリタン美術館が録音や映像を公開しています。複製楽器による録音も複数あります。
まとめ:ピアノの名前には、発明の理由がそのまま残っている
- ピアノの最初の呼び名は「弱い音と強い音が出せるチェンバロ」。縮まって「ピアノ(弱く)」になった
- チェンバロは弦をはじく仕組みで、指の力で音量を変えられなかった
- メディチ家の楽器係クリストフォリが1700年ごろ、ハンマーを投げて弦を打つ仕組みを発明した
- 発明は生前ほとんど売れず、ドイツの職人たちが受け継いで改良した
- 作曲家の要求に応えて音域と音量が広がり、鉄のフレームで約20トンの張力を支える現在の姿になった
チェンバロにできなかったのは、強い音ではなく、弱い音でした。大きな音なら、弦や鍵盤を足せば近づける。指先の加減ひとつで音がすっと遠のく、あの瞬間だけは、どうやっても出せなかった。だから名前に残ったのは「フォルテ」ではなく「ピアノ」のほうです。次にピアノ曲を聴くときは、いちばん小さな音に耳を澄ませてください。300年前の職人が欲しかったのは、その音です。
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