25歳の新人に教皇の書斎を任せた——ラファエロ『アテネの学堂』で探したい5人

1508年、ローマ。ヴァチカン宮殿の一室で、名のある先輩画家たちの壁画が削り落とされていました。
命じたのは教皇ユリウス2世。理由は、もっといい画家を見つけたからです。新しい画家はローマに着いたばかりの25歳で、これほど大きな壁画の実績はありませんでした。
名前はラファエロ・サンティ。同じ宮殿の目と鼻の先では、33歳のミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井に取りかかっています。
なぜユリウス2世は、無名に近いラファエロに賭けたのか
推薦者がいました。建築家ブラマンテです。
ブラマンテは、教皇が進めていたサン・ピエトロ大聖堂の建て直しの責任者。ラファエロと同じ、イタリア中部の小都市ウルビーノの出身でした。同郷の若者を教皇に引き合わせたと、16世紀の伝記作家ヴァザーリは書いています。
任されたのは、教皇の書斎にあたる部屋。のちに「署名の間」と呼ばれます。
四方の壁に、神学、哲学、詩、法という4つのテーマを描く計画でした。『アテネの学堂』は、その「哲学」の壁です。横幅は約7.7メートル。湿った漆喰が乾く前に絵の具をしみこませるフレスコ画で、描き直しがききません。
試し描きを見た教皇が、ほかの画家たちを解任し、先に描かれていた壁画まで壊させた。ヴァザーリはそう伝えています。
ラファエロが壁に描いたのは、古代ギリシャの哲学者や科学者たち、50人以上。時代も場所も違う賢者たちが、一つの巨大な建物に集まって議論している、ありえない同窓会です。名札は一枚もありません。それでも、何人かは見分けられます。
1人目と2人目——プラトンは天を指し、アリストテレスは地を押さえる

まず、画面のど真ん中を見てください。
奥へ続くアーチの消失点、つまり遠近法の線がすべて集まる一点に、二人の男が並んで歩いてきます。
左の白いひげの老人がプラトン。右手の人さし指を、まっすぐ天に向けています。真理は目に見える世界の上、理想の世界にある、という彼の哲学をそのまま身ぶりにしたものです。
右の壮年の男が、弟子のアリストテレス。手のひらを下に向け、地面を押さえるように差し出しています。真理は目の前の現実を観察するところにある。
指一本と手のひら一枚で、西洋哲学の二つの流れを描き分けた。
二人が抱えている本の背にも、それぞれの代表作の題が書かれています。そしてプラトンの顔は、当時50代後半だったレオナルド・ダ・ヴィンチに似せて描かれた、と古くから言われてきました。若い画家から大先輩への敬意です。
3人目——あとから描き足された、不機嫌なミケランジェロ

階段の手前、画面のいちばん前に、一人だけ議論に加わらない男がいます。
大理石の箱に肘をつき、頬杖をついて、うつむいて何かを書いている。「泣く哲学者」と呼ばれた古代ギリシャのヘラクレイトスとされます。
この人物には秘密があります。
ミラノに残るラファエロの原寸大の下絵に、彼はいません。壁画がほぼ完成したあとで、わざわざ漆喰を塗り直して描き足されたのです。
顔のモデルは、ミケランジェロだと考えられています。
1511年、システィーナ礼拝堂の天井画の前半分が公開されました。ラファエロはそれを見て衝撃を受け、8歳年上のライバルを自分の絵に招き入れた。そう説明されています。ほかの賢者たちがゆったりした古代の衣をまとう中で、この男だけが石工のような革の長靴をはいている。体つきも、天井画の預言者たちに似たごつごつした描き方です。
ミケランジェロのほうは、ラファエロを嫌っていました。後年の手紙で「彼が芸術について知っていたことは、すべて私から学んだものだ」と書いています。
孤独で気難しい彫刻家と、誰からも好かれた社交家。不機嫌な顔で一人座る姿は、似顔絵としても正確だったようです。
4人目——コンパスを持つユークリッドは、恩人ブラマンテ
画面の右下では、はげ頭の男が腰をかがめ、床の石板にコンパスで図形を描いています。
幾何学の父ユークリッド。アルキメデスだという説もあります。若者たちがその手もとを、身を乗り出してのぞきこんでいる。わかった者、まだわからない者、隣に教える者。理解の段階が、4人の表情で描き分けられています。
この男のモデルが、ラファエロを教皇に推薦した建築家ブラマンテです。
哲学者たちが集う壮大なアーチの建物も、ブラマンテが設計していた新しいサン・ピエトロ大聖堂の構想をもとにしたと言われています。当時まだ工事が始まったばかりで、地上には存在しない建物でした。
恩人を賢者の一人として描き、その未完の設計を絵の中で先に完成させてみせた。ラファエロ流のお礼です。
5人目——右端からこちらを見ている黒い帽子の若者

最後の一人は、探すのに少し時間がかかります。
画面の右端、柱のすぐ横。黒いベレー帽の若者が、賢者たちの肩ごしに顔だけをのぞかせています。
50人以上の登場人物のほとんどは、議論の相手か、本か、図形を見ています。絵の外にいる私たちのほうをまっすぐ見ているのは、ごくわずか。その一人がこの若者、ラファエロ本人です。
上の自画像と見比べてください。同じ黒い帽子、同じ細い首、同じ静かな目です。
私は、この控えめな立ち位置にラファエロの性格が出ていると思います。ダ・ヴィンチを中央に、ミケランジェロを最前列に、ブラマンテを右の主役に置き、自分は端に小さく立つ。ただし、目だけは観客から離さない。全員を招いたのは私です、と言っているように見えます。
37歳の誕生日に死んだラファエロ
『アテネの学堂』の成功で、ラファエロはローマ一の人気画家になりました。
50人規模の工房を率い、教皇の部屋を次々に飾り、聖母子像を描き、ブラマンテの死後はサン・ピエトロ大聖堂の建築主任まで引き継ぎます。
1520年4月6日、高熱のため急死。37歳の誕生日だったと伝えられています。遺体は本人の希望どおり、古代ローマの神殿パンテオンに葬られました。ミケランジェロは、それから44年生きます。
よくある質問
Q. 描かれた人物は、全員誰だかわかっているのですか?
いいえ。ラファエロは人物名を書き残していません。プラトンとアリストテレスは持っている本から確実ですが、多くはヴァザーリの記述や後世の研究者の推定で、説が分かれる人物もいます。
Q. 『アテネの学堂』はどこで見られますか?
ヴァチカン美術館の見学コースにある「ラファエロの間」の一室です。壁に直接描かれたフレスコ画なので、ほかの場所に貸し出されることはありません。システィーナ礼拝堂と同じコースで見られます。
まとめ:『アテネの学堂』は、ラファエロが開いた同窓会
- 1508年、25歳のラファエロが教皇ユリウス2世の書斎の壁画を任された
- 中央のプラトンは天を、アリストテレスは地を示し、二つの哲学を身ぶりで表す
- 最前列で頬杖をつくヘラクレイトスは、あとから描き足されたミケランジェロ
- コンパスを持つユークリッドは、恩人の建築家ブラマンテ
- 右端でこちらを見る黒い帽子の若者が、ラファエロの自画像
古代の賢者の絵だと思って見ると、遠い世界の話です。1510年前後のローマにいた天才たちの集合写真だと思って見ると、急に人間くさくなります。不機嫌な先輩、世話になった恩人、あこがれの巨匠。全員を一枚に収めて、撮影者は右端に写りこんでいます。
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