中世の聖母には体重がなかった——ジョットとスクロヴェーニ礼拝堂、西洋絵画が「重さ」を取り戻すまで

ローマ教皇の使いが、フィレンツェの画家の工房を訪ねてきた。教皇は新しい仕事を任せる画家を探していて、腕前を示す見本の絵を集めている、と言う。
画家は紙を一枚取り、赤い絵の具をつけた筆で、ひと息に円を描きました。コンパスは使っていません。これを持っていけばいい、とだけ言って。
使いは、からかわれたと思ったそうです。けれど教皇はその円を見て、画家の腕を理解した。16世紀の画家伝の著者ヴァザーリが書き残した、ジョットの「O(オー)」の話です。イタリアには今も「ジョットのOより丸い」という言い回しが残っています。
私はこの話を、器用な人だったという意味では読みません。ジョットは、手の確かさだけで紙の上に形を立ち上げられる人でした。そしてその手で、700年前のヨーロッパの絵に、それまでなかったものを持ち込みます。
体の重さです。
金色の空に浮かんでいた聖母を、ジョットは椅子に座らせた

ジョット・ディ・ボンドーネは、1267年ごろ、フィレンツェ近郊の村に生まれました。羊飼いの少年が石に羊の絵を描いているのを、通りかかった画家チマブーエが見つけて弟子にした。これもヴァザーリが伝える話で、真偽はわかりません。
確かなのは、ジョットが登場する前のイタリアの絵がどんなものだったか、です。
当時の祭壇画の手本は、東ローマ帝国(ビザンティン)から伝わった聖像画でした。背景は一面の金。聖母は細長く、衣の襞は金の線で模様のように描かれ、体は板に貼りつけたように平らです。天上の存在を描くのだから、地上の重さはいらない。それが中世の絵の考え方でした。
フィレンツェのウフィツィ美術館には、この変化をひと目で確かめられる展示室があります。チマブーエ、シエナの画家ドゥッチョ、そしてジョット。3人が描いた大きな聖母像が、同じ部屋に並んでいます。
上の『オニサンティの聖母』の前に立つと、違いはすぐにわかります。
聖母の膝が、衣の下で前に出ている。腰は玉座の座面に沈み、胸元の白い衣は体の丸みに沿ってふくらむ。玉座そのものも、奥へ引っ込む箱として描かれています。背景は伝統どおりの金なのに、その手前に、重さを持った一人の女性が座っている。両脇の天使たちも、聖母を見上げる顔の角度がそれぞれ違います。
金の空に浮かんでいた聖母を、ジョットは椅子に座らせました。
では、その手で礼拝堂の壁を丸ごと任されたら、何を描いたのか。
スクロヴェーニ礼拝堂——金貸しの息子が建てた「青い箱」

北イタリアの大学町パドヴァに、外から見ると素っ気ない、レンガ造りの細長い礼拝堂があります。
扉をくぐると、天井一面が青い。夜空のような深い青に、金の星が散っています。左右の壁には、上から3段に分けて、聖母マリアの両親の物語、マリアの生涯、キリストの生涯が絵巻物のように並ぶ。入口側の壁いっぱいには『最後の審判』。1305年ごろまでに、ジョットとその工房が描き上げたフレスコ画(塗りたての漆喰に描く壁画)です。
建てさせたのは、パドヴァの富豪エンリコ・スクロヴェーニでした。
ここで少し寄り道をします。エンリコの父は、高利貸しで財を築いた人物でした。詩人ダンテは『神曲』の地獄篇で、高利貸したちが落ちる地獄に、スクロヴェーニ家の紋章のついた財布を下げた男を置いています。金貸しは、当時の教会の教えでは重い罪。父の罪をつぐなうための礼拝堂だった、という見方が昔から語られてきました。
『最後の審判』の中には、礼拝堂の模型を差し出すエンリコ本人の姿も描かれています。救われる側に入れてほしい。その願いを、絵の中に書き込ませたわけです。
青い天井には、もう一つ意味があります。中世の絵で、背景の金は「ここは天上の世界です」という記号でした。ジョットは物語の場面の背景を、ほとんど空の青で塗っています。人物たちは金の中ではなく、空の下、地面の上に立つ。聖書の物語が、天上の出来事から、どこかの丘で本当に起きた出来事に変わりました。
その変化がいちばんはっきり出ているのが、冒頭に掲げた『哀悼』です。
背中を向けた二人——『哀悼』で、ジョットは見る人を絵の中に立たせた
十字架から降ろされたキリストの亡骸を、人々が囲んで嘆いている場面です。
まず、画面のいちばん手前を見てください。こちらに背中を向けて座り込んだ人物が、二人います。顔は見えません。
中世の宗教画で、聖なる場面の登場人物が見る人に背を向けることは、まずありませんでした。誰もがこちらを向き、自分が誰なのかを示していた。ジョットは、その約束を破ります。
背中を向けた二人のおかげで、私たちは彼らの後ろ、嘆く人々の輪の外側に立つことになる。亡骸をのぞき込む人垣の、いちばん後ろの列です。絵を見ている人も、葬儀に居合わせた一人になります。
次に、画面を斜めに横切る岩山の線をたどってみてください。右上から下りてきた線の先には、聖母マリアが抱きかかえるキリストの顔がある。ほとんど触れ合うほど近い、母と子の二つの顔。
空では、天使たちが泣いています。顔を覆う者、両手を広げる者、身をよじる者。同じ悲しみを、一人ずつ違う体の動きで描き分けている。金の背景の前で行儀よく並んでいた天使たちが、ここでは空中で取り乱しています。

同じ礼拝堂の『ユダの接吻』も、見どころは顔です。裏切りの合図にキリストを抱き寄せるユダの黄色いマントが、キリストの体をすっぽり包む。二人の横顔が、目と目の高さで向き合っています。武器や松明が林のように突き上がる騒ぎの真ん中で、そこだけ時間が止まっている。
ダンテは『神曲』の煉獄篇に、かつては絵ならチマブーエと思われていたが、今はジョットの名声がそれを覆い隠している、という一節を書きました。同時代の詩人の目にも、この変化ははっきり見えていました。
よくある質問
Q. スクロヴェーニ礼拝堂は見学できますか?
できます。壁画を守るため、見学は予約制で、入場の人数や時間が区切られています。条件は変わることがあるので、行く前に公式サイトで最新情報を確認してください。2021年には、パドヴァの14世紀のフレスコ画群の一つとして世界遺産に登録されました。
Q. ジョットは絵のほかに何を残しましたか?
晩年、フィレンツェ大聖堂の工事の責任者を任され、隣に立つ鐘楼の設計に関わりました。この塔はいまも「ジョットの鐘楼」と呼ばれています。
Q. ジョットはなぜ「西洋絵画の父」と呼ばれるのですか?
金の背景と平らな人物を中心にした中世の描き方から離れ、重さのある体、感情の見える顔、空の下の空間を描いたからです。およそ100年後に始まるルネサンスの画家たちは、ジョットの壁画を出発点として学びました。
まとめ
- ジョット(1267年ごろ〜1337年)は、金の背景に平らな人物を描く中世の絵から、重さと感情を持った人間の絵へと踏み出した画家
- 『オニサンティの聖母』は、衣の下の膝と、座面に沈む腰で「体重」を描いた
- パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂では、背景を金から空の青に変え、聖書の物語を地上の出来事として描いた
- 『哀悼』の背中を向けた二人は、見る人を嘆きの輪の後ろに立たせる仕掛け
円をひと息で描いた手は、聖母の膝を描き、泣く天使を描き、背中を向けた人を描きました。ルネサンスの名画を見るときは、人物の膝と背中に目をやってください。そこにはまだ、700年前のジョットの手つきが残っています。
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