賠償金は1ファージング——ホイッスラーが「絵の具の壺を投げつけた」と書いた批評家ラスキンを訴えた日

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー『黒と金のノクターン——落下する花火』1875年ごろ、デトロイト美術館
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー『黒と金のノクターン——落下する花火』1875年ごろ、デトロイト美術館

椅子に横向きに座った、黒い服の老婦人。灰色の壁と、黒いカーテン。

『ホイッスラーの母』と呼ばれるこの絵は、どこかで一度は目にしたことがあるはずです。パロディやポスター、切手にもなった、アメリカでいちばん有名な絵の一つです。

けれど、これを描いた画家が、母の肖像を描いた数年後に、当時イギリスでいちばん影響力のあった批評家を裁判に訴え、勝って、そして破産したことは、あまり知られていません。

勝訴して受け取った賠償金は、1ファージング。イギリスでいちばん小さな硬貨でした。

『黒と金のノクターン』に、批評家ラスキンは何と書いたか

1877年、ロンドンに新しい画廊、グローヴナー・ギャラリーが開きました。その最初の展覧会に、アメリカ生まれの画家ジェームズ・マクニール・ホイッスラーは、冒頭の一枚を出品します。

夜のテムズ川沿いの遊園地。闇の中で花火が打ち上がり、金色の火の粉が、ゆっくりと落ちてくる。手前には、ぼんやりとした人影。

ホイッスラーは1834年、アメリカのマサチューセッツ州に生まれました。陸軍士官学校に入ったものの、化学の試験に落ちて退学。20代でパリに渡って絵を学び、のちにロンドンに住みつきます。浮世絵や中国の磁器を熱心に集め、着物姿の女性を描いた作品も残しました。毒舌と派手な身なりで、ロンドンの社交界でも有名な人物でした。

ノクターンの連作には、浮世絵から学んだものがはっきり出ています。広重の夜の川の版画のように、余計なものを省き、少ない色の面で画面を組み立てる。細部を描き込むのが当たり前だった当時のイギリスの絵とは、正反対のやり方でした。

輪郭は、ほとんどありません。何が描かれているかより、黒と金の色の響きそのものが主役です。題は『黒と金のノクターン——落下する花火』。値段は200ギニーでした。

これを見た批評家ジョン・ラスキンは、自分の発行する冊子に、こう書きました。

ジョン・ラスキン(1863年撮影)
ジョン・ラスキン(1863年撮影)

ロンドンっ子の厚かましさは、これまでもさんざん見聞きしてきた。だが、気取り屋が、絵の具の壺を客の顔に投げつけて200ギニーを要求するのを聞かされるとは思わなかった。(拙訳)

ラスキンは、ただの批評家ではありませんでした。若い頃にターナーを熱烈に擁護し、ラファエル前派の画家たちを世に出し、オックスフォード大学で美術を教える、ヴィクトリア朝イギリスの美術界の大御所です。彼が「投げつけた絵の具」と書けば、それは世間の評価になる。

ホイッスラーは、ラスキンを名誉毀損で訴えました。

「2日で描いた絵に、200ギニーを求めるのか」——1878年の法廷

裁判は1878年11月、ロンドンで開かれました。

ラスキンは体調を崩していて、法廷に姿を見せませんでした。代わりに弁護団が、ホイッスラーを証人席に立たせ、質問を浴びせます。

あのノクターンを仕上げるのに、どれくらいかかったのか。

ホイッスラーは、2日ほどだと答えました。

弁護士はたたみかけます。では、2日の労働に対して200ギニーを求めるのか。

ホイッスラーの答えは、こうだったと記録されています。いいえ。私が求めているのは、生涯かけて得た知識に対してです。

法廷に、拍手が起こったといわれます。

私は、美術の歴史の中でこれほど短く、これほど正確に「絵の値段とは何か」を言い当てた言葉を、ほかに知りません。2日で描けるのは、そこまでに何十年も見て、描いて、捨ててきたからです。ここで問われていたのは、一枚の花火の絵ではなく、絵の価値を労働時間で測るのか、目と手に積み重なった時間で測るのか、という問いでした。

勝訴、賠償金1ファージング、そして破産

判決は、ホイッスラーの勝ちでした。

ただし陪審が認めた賠償金は、1ファージング。1ペニーの4分の1、当時のイギリスでいちばん小さな硬貨です。ホイッスラーが求めた賠償額は1000ポンド。1ファージングは、その96万分の1です。

さらに、裁判の費用は双方が自分で払うことになりました。

勝ったのに、払うのはホイッスラー。もともと金遣いの荒かった彼は、この裁判費用がとどめになって、翌1879年に破産します。建てたばかりのロンドン・チェルシーの自宅も手放しました。

いっぽう、ラスキンの裁判費用は、支持者たちが寄付を集めて肩代わりしたといわれます。それでもラスキンにとって、この裁判は痛手でした。まもなく彼は、オックスフォードの教授の職を辞しています。

ホイッスラーは、その1ファージング硬貨を時計の鎖につけて持ち歩いた、という話が伝わっています。負け惜しみか、勲章か。たぶん、その両方です。

『ホイッスラーの母』の本当の題は「灰色と黒のアレンジメント」

ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント第1番(画家の母の肖像)』1871年、オルセー美術館
ホイッスラー『灰色と黒のアレンジメント第1番(画家の母の肖像)』1871年、オルセー美術館

ホイッスラーが法廷で守ろうとしたものは、彼の絵の題を見るとよくわかります。

ノクターン、シンフォニー、ハーモニー、アレンジメント。彼は自分の絵に、音楽の言葉を題としてつけました。

ノクターンは夜想曲。ショパンのピアノ曲のように、夜の気分を描く音楽です。夜のテムズ川を描いた連作に、この言葉を題としてつけることを勧めたのは、彼の支援者で、ピアノを弾く海運王だったといわれます。

そして、冒頭で触れた母の絵。正式な題は『灰色と黒のアレンジメント第1番』です。

画家にとってこの絵は、母を描いた記念写真ではなく、灰色と黒をどう並べるかの実験でした。音楽が何かの物語を説明しなくても美しいように、絵も、色と形の組み合わせだけで美しくてよい。「芸術のための芸術」と呼ばれる考え方です。

花火の絵が「何を描いているかわからない」と言われたのも、同じ理由です。描かれているのは、花火という「もの」ではなく、闇の黒と火の粉の金が響き合う「音楽」でした。

母の肖像は、その後フランス政府が買い上げ、いまはパリのオルセー美術館が所蔵しています。破産した画家の絵を、海の向こうの国が評価した。

よくある質問

Q. 『黒と金のノクターン——落下する花火』はどこで見られますか?
アメリカのデトロイト美術館が所蔵しています。展示状況は変わることがあるので、見に行く前に公式サイトで確認してください。

Q. ホイッスラーとラスキンは、その後和解したのですか?
二人が和解することはなかったとされています。ホイッスラーはのちに、この裁判のやりとりを含めた論争の文章を本にまとめて出版しています。

まとめ

  • 1877年、ホイッスラーの『黒と金のノクターン——落下する花火』を、批評家ラスキンが「絵の具の壺を投げつけた」と酷評した
  • ホイッスラーは名誉毀損で訴え、1878年の法廷で「生涯かけて得た知識に対して」値段をつけると答えた
  • 判決は勝訴、賠償金は1ファージング。裁判費用がかさみ、ホイッスラーは翌年破産した
  • 彼は絵に音楽の題をつけ、色と形の調和そのものを描こうとした。『ホイッスラーの母』の正式名も『灰色と黒のアレンジメント第1番』

椅子に座る母の絵を見たら、冒頭の花火を思い出してください。どちらも、同じ画家が描いた「音楽」です。1ファージングの判決は、その音楽に、ロンドンの法廷が払った最初の値段でした。

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