バンドネオンはなぜ教会を出て酒場に流れ着いたのか——タンゴの歴史

バンドネオンを弾くブエノスアイレスの奏者。タンゴの音色の中心にいるのは、この四角い蛇腹の楽器(Photo: Jorge Royan / CC BY-SA 3.0)
バンドネオンを弾くブエノスアイレスの奏者。タンゴの音色の中心にいるのは、この四角い蛇腹の楽器(Photo: Jorge Royan / CC BY-SA 3.0)

タンゴといえば、頬を寄せ合って踊る男女。バラ、情熱、アルゼンチン。ここまでは、多くの人が思い浮かべられます。

では、その真ん中で鳴っている楽器の名前は。

答えられる人は、ぐっと減ります。バンドネオンという蛇腹の楽器です。生まれはアルゼンチンではなく、ドイツ。一説には、教会で賛美歌を伴奏するために作られたと伝えられます。

神様のための楽器が、地球の裏側の酒場で夜の音楽を弾いている。この奇妙な旅路を追いかけると、タンゴの歴史がまるごと見えてきます。

ドイツ生まれの「持ち運べるオルガン」——バンドネオンの正体

バンドネオンは19世紀半ばのドイツで生まれました。名前は、この楽器を広めた楽器商ハインリッヒ・バンドに由来します。

見た目はアコーディオンの親戚。ただし構造はずっと意地悪です。標準的なものでボタンは71個。同じボタンでも、蛇腹を押すときと引くときで別の音が出ます。しかも配列にわかりやすい規則がありません。「悪魔が発明した楽器」と呼ばれるほどの習得の難しさです。

なぜそんな楽器が作られたのか。

パイプオルガンを買えない小さな教会や野外の礼拝のため、持ち運べる代用オルガンとして使われたと伝えられています。息を吸って吐くような蛇腹の音は、たしかにオルガンの遠い親戚の響きです。奏者はこの箱を膝に載せ、抱きかかえるようにして開け閉めします。出てくるのは、ため息にも、うめき声にも聞こえる音です。機会があれば、映像で奏者の腕の動きを見てほしい。楽器が呼吸しているように見えます。

19世紀の終わり、この楽器は船乗りや移民の荷物に入って大西洋を渡りました。行き先は、教会ではありませんでした。

港町ブエノスアイレス——移民の孤独がタンゴを生んだ

ブエノスアイレスの港町ボカ地区の一角カミニート。移民たちが暮らした極彩色の家並みが残る(Photo: Luis Argerich / CC BY 2.0)
ブエノスアイレスの港町ボカ地区の一角カミニート。移民たちが暮らした極彩色の家並みが残る(Photo: Luis Argerich / CC BY 2.0)

19世紀末から20世紀初頭、アルゼンチンには数百万人の移民が押し寄せました。イタリアから、スペインから、片道切符で。玄関口になったのが首都ブエノスアイレスの港、ボカ地区です。

この時期のブエノスアイレスは、住民のおよそ半分が外国生まれという都市でした。移民の多くは単身の若い男です。狭い長屋に暮らし、言葉もばらばら。故郷に帰れるあてはありません。

そういう男たちが夜に集まる酒場や路地で、音楽が混ざり始めます。アフリカ系住民の太鼓のリズム、キューバから来た舞曲ハバネラ、草原の歌ミロンガ。そこへ、船で着いたばかりのバンドネオンが加わりました。

タンゴの誕生です。歌の題材は、望郷、裏切られた恋、母への手紙。帰れない男たちの本音でした。生まれた場所が場所だけに、上流階級は「港の下品な踊り」と見下しました。

ところが1910年代、タンゴは海を渡ったパリの社交界で大流行します。ヨーロッパのお墨付きを得たとたん、故郷ブエノスアイレスの上流階級も手のひらを返しました。逆輸入で市民権を得た音楽。それがタンゴです。

ただ、この時点のタンゴにはまだ「顔」がありませんでした。

カルロス・ガルデル——タンゴに歌を与えたスター

ガウチョ衣装をまとったカルロス・ガルデル(1923年撮影)
ガウチョ衣装をまとったカルロス・ガルデル(1923年撮影)

タンゴの顔になった男が、歌手カルロス・ガルデルです。

1917年、ガルデルは『ミ・ノーチェ・トリステ(わが悲しみの夜)』を録音しました。それまで主に踊るための伴奏だったタンゴに、物語を歌う声が乗った瞬間です。「歌うタンゴ」の始まりとされる録音です。

以後のガルデルは、歌えば売れ、映画に出れば当たる別格のスターになりました。ポマードで髪を固めた笑顔は、そのままタンゴのイメージとして定着します。

絶頂は長く続きません。

1935年6月、公演旅行中のガルデルは、コロンビアのメデジンで飛行機事故に遭い亡くなりました。自作の『ポル・ウナ・カベサ』を吹き込んだ、その数か月後のことです。この曲は90年近くたった今も、映画のダンスシーンの定番であり続けています。

あまりに突然の死は伝説を生みます。今もアルゼンチンには「ガルデルは日ごとに歌がうまくなる」という言い回しが残っています。死んでなお現役、という意味の最上級の賛辞です。

その死からおよそ20年後。今度は「タンゴを壊した」と罵られる男が現れます。

「タンゴの破壊者」ピアソラ——酒場の音楽が世界の楽譜になった

ステージに立つアストル・ピアソラ(1975年撮影)
ステージに立つアストル・ピアソラ(1975年撮影)

アストル・ピアソラは1921年生まれ。少年期をニューヨークの移民街で過ごしました。13歳のときには、ニューヨークに来たガルデル本人と知り合い、その主演映画に新聞売りの少年役で出ています。

帰国後は、アニバル・トロイロ率いる名門楽団のバンドネオン奏者になりました。ただ、本人の夢はクラシックの作曲家でした。

転機は1954年のパリ留学です。伝説の作曲教師ナディア・ブーランジェに自作の交響的な作品を見せても、反応は薄い。ためしにタンゴを弾いたところ、「これがあなたです。捨ててはいけない」と言われたと伝えられます。

ここからピアソラは開き直りました。タンゴにフーガを持ち込み、ジャズの即興を混ぜ、エレキギター入りの五重奏団を組む。踊るための音楽を、聴くための音楽に作り替える。この路線は「新しいタンゴ(ヌエボ・タンゴ)」と呼ばれます。

故郷の保守的なファンは激怒しました。「あんなものはタンゴではない」と罵倒され、タクシーに乗車拒否されたという逸話まで伝えられます。本人は「アルゼンチンでは何を変えてもいいが、タンゴだけは変えてはならないらしい」と皮肉で返しました。

評価をひっくり返したのは世界のほうです。1974年発表の『リベルタンゴ』は、国境をたやすく越えました。チェロのヨーヨー・マをはじめ、クラシックの一流演奏家が次々と彼の楽譜を取り上げます。1992年にピアソラが亡くなったあとも、その曲はコンサートホールの定番であり続けています。

破壊者と呼ばれた男が、結果としてタンゴの寿命を一番延ばした。皮肉のよく効いた結末です。

2009年、タンゴはユネスコの無形文化遺産に登録されました。申請したのはアルゼンチンとウルグアイ。酒場の音楽は、人類の宝という肩書きまで手に入れました。

よくある質問

Q. 社交ダンスの「タンゴ」とアルゼンチンタンゴは同じもの?

ルーツは同じですが、別物と考えたほうがすっきりします。パリで流行したタンゴがイギリスで競技用に整えられたものが、社交ダンスのコンチネンタルタンゴ。本場の即興的なアルゼンチンタンゴとは、音楽も踊り方もかなり違います。

Q. バンドネオンとアコーディオンはどこが違う?

アコーディオンは鍵盤やボタンの配列が規則的で、和音用のボタンもあります。バンドネオンはボタン配列が不規則なうえ、蛇腹の押し引きで音が変わるため、演奏の難易度が段違いです。その代わり、息づかいのような強弱の表現に優れています。

まとめ

  • バンドネオンはドイツ生まれ。教会の代用オルガン説を持つ楽器
  • タンゴは19世紀末、ブエノスアイレスの港町で移民の音楽が混ざって生まれた
  • カルロス・ガルデルが「歌うタンゴ」を確立し、1935年に事故死して伝説になった
  • 「破壊者」ピアソラが聴くタンゴへ作り替え、世界の演奏会の定番にした

教会を出た楽器は、酒場を通り、コンサートホールにたどり着きました。タンゴの主役は足さばきではなく、あの蛇腹の呼吸です。次に聴くときは、バンドネオンが息を吸う音から追いかけてみてください。

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