肩紐が1本ずり落ちていた——サージェント『マダムX』と、パリを去った28歳の肖像画家

1884年5月、パリ。年に一度の官展「サロン」の会場で、一枚の肖像画の前にだけ人だかりができていました。
黒いドレスの女性が、テーブルに手をついて立っている。顔は真横を向き、肌は不自然なほど白い。そして、右肩から宝石の肩紐が、するりと腕のほうへ落ちていました。
笑い声と、ひそひそ話。モデルの母親は泣きながら画家のもとへ駆けつけ、絵を下げてほしいと頼んだと伝えられます。
描いたのは、28歳のアメリカ人画家ジョン・シンガー・サージェント。この一枚で、彼はパリでの未来を失いました。今、ニューヨークのメトロポリタン美術館で最も人気のある肖像画の一つは、こうして生まれています。
「マダムX」とは誰だったのか
モデルの名は、ヴィルジニー・アメリー・アヴェーニョ・ゴートロー。
アメリカ南部ルイジアナ州のニューオーリンズに生まれ、少女時代に母とパリへ渡りました。銀行家ピエール・ゴートローと結婚し、パリの社交界で「職業的美人」と呼ばれるほどの有名人になります。新聞が彼女の装いを書き立て、劇場に現れれば双眼鏡が一斉にそちらを向いた、という時代の人でした。
彼女の名を何より有名にしたのは、肌です。白粉を厚くはたき、ほんのり青みがかったラベンダー色に見せていたといわれます。
サージェントは、この人を描きたいと自分から申し出ました。
肖像画家として名を上げたい若者にとって、話題の美女は格好のモデルです。夫人の側にも、自分の美しさを作品として残したい気持ちがあった。双方の思惑が一致して、制作が始まります。
ところが、この「自分から頼んだ」という一点が、のちに彼を追い詰めることになります。
下絵だけで何枚も。ゴートロー夫人はじっとしていなかった

制作は思うように進みませんでした。
夫人は社交で忙しく、長いポーズに付き合うのを嫌がりました。サージェントはブルターニュにある夫人の別荘まで出向き、鉛筆や水彩、油彩で、いくつものスケッチを描いています。
上の絵はその一枚です。グラスを掲げ、横顔でこちらを見ない。筆は速く、花も背景も、ほとんど色の塊のまま残されています。
私はこの小さな油彩が好きです。完成作の緊張した立ち姿とは違い、まだ二人が楽しんでいた時間の気配がある。
何枚も描くうちに、サージェントは結論にたどり着きます。この人は、横顔だ。
鼻筋から顎までの鋭い線。長い首。後ろへ引いた肩。正面を向かせるより、真横に向けたほうが、彼女の「形」がいちばん強く出る。完成作が、ほとんど彫刻のような横顔になったのはそのためです。
では、その絵のどこが、パリを怒らせたのか。
『マダムX』の何がスキャンダルだったのか
答えは、冒頭の肩紐です。
サロンに出品されたとき、右肩の宝石の肩紐は、肩から外れて腕にずり落ちた状態で描かれていました。今私たちがメトロポリタン美術館で見る絵では、肩紐はきちんと肩に乗っています。これは騒ぎのあとに、サージェント自身が描き直したものです。
19世紀のパリで、ドレスの肩紐が落ちているのは「いま服が脱げかけている」という合図でした。しかもモデルは、誰もが顔を知っている実在の既婚女性です。
裸婦なら、神話の女神という言い訳が立ちます。けれど、これは社交界の誰それ夫人の肖像でした。

肌の色も笑いの種になりました。白粉のラベンダー色を、サージェントはそのまま描いています。批評家たちは「死人のようだ」と書きました。
出品時の題は『マダム***の肖像』。名前を伏せていましたが、誰が見てもゴートロー夫人です。伏せ字が、かえって噂を呼びました。
28歳の画家は、なぜパリを離れたのか

サロンの騒ぎは、画家の仕事に直撃しました。
肖像画家の収入源は、注文です。社交界の夫人たちが「私もあの人に描いてもらいたい」と思わなければ、仕事は来ない。『マダムX』のあと、パリでの注文は目に見えて減りました。
サージェントは、絵を夫人に渡しませんでした。母親の抗議を受けても絵を下げず、会期が終わるとアトリエに引き取り、肩紐を描き直しています。
そして2年後、彼は拠点をロンドンへ移します。
ロンドンでの彼は、成功しました。それも、とてつもなく。英国やアメリカの上流階級がこぞって肖像を注文し、サージェントは時代を代表する肖像画家になります。後年には肖像画の仕事に疲れ、注文をほとんど断って水彩の風景画に打ち込むようになったほどです。
その間ずっと、『マダムX』はアトリエの壁にありました。
30年後、ニューヨークへ——「私の最高傑作」
1915年、ゴートロー夫人が亡くなります。
その翌年、サージェントは『マダムX』をメトロポリタン美術館に売りました。そのとき書き添えた言葉が残っています。これはおそらく、自分が描いたもののなかで最良のものだろう。
サージェントは、絵の題にモデルの名を出さないよう求めたといわれます。『マダムX』という呼び名が定着したのは、ここからです。モデルが誰かは誰でも知っていました。それでも最後まで名前を伏せたのは、彼女への遠慮だったのかもしれません。
高さは2メートルを超え、ほぼ等身大。美術館で実物の前に立つと、夫人がこちらには目もくれず、横を向いたまま立っているのがよくわかります。
細部も見ておきたいところです。
髪の上で光る小さな飾りは、三日月の形をしています。三日月は、ローマ神話の月と狩りの女神ディアナのしるし。人間の夫人に、女神の記号をそっとかぶせているわけです。
色は、ほぼ3つしかありません。茶色の背景、黒のドレス、白い肌。黒と茶のあいだで、肌だけが浮き上がるように組まれています。右手でドレスの裾をつまみ、左手はテーブルの縁を押さえる。体はこちらを向いているのに、顔だけが横へそれる。そのねじれが、立ち姿に緊張を生んでいます。
美しさを褒める絵ではなく、美しさを見せつける人を描いた絵。私はこの絵を、そう見ています。
よくある質問
Q. 肩紐がずり落ちた元の状態は、もう見られないのですか?
完成作は描き直されているため、元の状態は残っていません。サロン出品当時の様子は、当時撮影された写真で確かめることができます。
Q. 『マダムX』はほかにもあるのですか?
ロンドンのテート・ブリテンに、未完成のもう一枚が所蔵されています。完成作と見比べると、サージェントがどこまで描き込んで止めたのかがわかります。
Q. サージェントはアメリカ人なのに、なぜパリにいたのですか?
両親はアメリカ人ですが、本人はイタリアのフィレンツェで生まれ、ヨーロッパ各地で育ちました。10代の終わりにパリで本格的に絵を学び、そのままパリで画家として活動していました。
まとめ
- モデルはニューオーリンズ生まれの社交界の名士、ゴートロー夫人。サージェントが自分から申し出て描いた
- 1884年のサロンでは、右肩の肩紐がずり落ちた状態で出品され、大きなスキャンダルになった
- パリでの注文を失ったサージェントは2年後にロンドンへ移り、のちに時代を代表する肖像画家になった
- 肩紐は騒ぎのあとに描き直され、夫人の死後、絵はメトロポリタン美術館へ渡った
1884年の会場で笑われた右肩は、今は静かに肩紐を乗せています。次にこの絵を見るときは、右肩の上の、少しだけ塗り重ねた跡を探してみてください。28歳の画家が、そこで一度だけ引き下がりました。
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