34歳の遺体を、検視医は「50歳から60歳」と記した——チャーリー・パーカーとビバップ、最初に聴く1曲

チャーリー・パーカー(1947年ごろ、ニューヨーク/撮影: ウィリアム・P・ゴットリーブ)
チャーリー・パーカー(1947年ごろ、ニューヨーク/撮影: ウィリアム・P・ゴットリーブ)

はじめにチャーリー・パーカーを聴いたとき、私は正直に言って、何が起きているのかわかりませんでした。

ジャズの入門書に「モダン・ジャズの父」と書いてあったので、図書館でCDを借りてきた。再生すると、アルトサックスの音が、ものすごい速さで駆け上がり、跳ね回り、急に止まり、また走り出す。メロディを追いかけようとしても、耳が置いていかれる。3分ほどで曲が終わったとき、疲れていたのは聴いている私のほうでした。

それから何年もかけて、少しずつ耳が追いつくようになりました。いまでも全部を聴き取れているとは思いません。それでも、あの速さの中に、歌があることはわかるようになった。

この記事は、昔の私のように、パーカーで一度つまずいた人のために書いています。

まず知っておいてほしい数字があります。パーカーは34歳で亡くなりました。遺体を調べた検視医は、彼の年齢を「50歳から60歳」と書き込んだといわれます。そう見えるほど、体はぼろぼろでした。その短い人生で、彼はジャズを、踊るための音楽から、聴くための音楽に変えています。

16歳、シンバルを投げつけられた夜

パーカーは1920年、アメリカ中西部のカンザスシティで育ちました。当時のカンザスシティは、夜通し演奏が続くジャズの町です。10代の初めに母親からアルトサックスを買ってもらい、クラブのジャム・セッション(飛び入りの即興演奏会)に通うようになります。

16歳のある夜、彼は腕自慢の大人たちに混じって、ステージに上がりました。

ところが、途中で曲の流れを見失い、演奏が崩れてしまう。ドラムを叩いていたのは、カウント・ベイシー楽団の名手ジョー・ジョーンズでした。ジョーンズはシンバルを外し、パーカーの足もとに投げつけたと伝えられます。もう下りろ、という合図です。客席は笑いに包まれました。

少年は、ひと夏、ほとんど人前から消えます。

ひたすら音階と和音を練習し、レコードに合わせて吹き、もう一度、あの夜の大人たちの前に立つ準備をした。戻ってきたとき、彼の演奏は、まわりが驚くほど変わっていたといいます。

皿洗いの店で聴いたピアノと、『チェロキー』の発見

1939年、19歳のパーカーはニューヨークに出ます。

すぐに音楽の仕事があったわけではありません。働いたのは、ハーレムのチキン料理店の皿洗い。その店では、盲目に近い天才ピアニスト、アート・テイタムが演奏していました。和音をくるくると組み替えながら、猛烈な速さで弾くテイタムのピアノを、パーカーは厨房で毎晩聴いていた。

同じ年、パーカーは仲間と『チェロキー』という曲を演奏していて、一つの発見をします。

曲の伴奏の和音の、上のほうにある音。ふつうはあまり使われないその音をつないで旋律を作ると、頭の中でずっと鳴っていたのに出せなかった響きが出せる。のちに本人は、あの夜、自分の聴いていた音がやっと吹けるようになった、という意味のことを語っています。

この発見が、ビバップの種になりました。

ビバップとは何だったのか——踊れなくなったジャズ

ディジー・ガレスピー(1946年、ニューヨーク/撮影: ウィリアム・P・ゴットリーブ)
ディジー・ガレスピー(1946年、ニューヨーク/撮影: ウィリアム・P・ゴットリーブ)

1940年代のはじめ、ハーレムの小さなクラブ「ミントンズ・プレイハウス」では、閉店後の深夜に若いミュージシャンたちが集まり、セッションを重ねていました。トランペットのディジー・ガレスピー、ピアノのセロニアス・モンク、そしてパーカー。

彼らの演奏は、それまでのジャズと何が違ったのか。

当時のジャズの主流は、大編成のビッグバンドによるスウィングでした。ダンスホールで、客を踊らせるための音楽です。ビバップは、その逆を行きます。

小さな編成。踊るには速すぎるテンポ。複雑に入れ替わる和音。そして、曲のテーマを最初と最後に合奏したら、あいだはソロの即興で勝負する。聴き手は踊るのをやめ、腕組みをして、演奏者の指先を見つめるようになりました。

「速すぎて踊れない」。それが、ビバップへの最初の悪口であり、最大の発明でした。

1945年、パーカーとガレスピーは一緒に録音を重ね、ビバップの名曲を次々に残します。同じ年の11月の録音には、19歳のマイルス・デイヴィスがトランペットで加わっていました。

「バードは生きている」——ニューヨークの壁に書かれた言葉

チャーリー・パーカー(中央)とマイルス・デイヴィス(右、トランペット)。左はベースのトミー・ポッター(1947年ごろ、ニューヨーク/撮影: ウィリアム・P・ゴットリーブ)
チャーリー・パーカー(中央)とマイルス・デイヴィス(右、トランペット)。左はベースのトミー・ポッター(1947年ごろ、ニューヨーク/撮影: ウィリアム・P・ゴットリーブ)

パーカーは仲間から「バード」と呼ばれていました。もとは鶏を指す俗語「ヤードバード」で、移動中の車がはねた鶏を、彼が拾って宿で料理させた、という由来話が伝わっています。由来には別の説もあり、本当のところはわかりません。

1950年には、弦楽器の伴奏をつけたアルバム『チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス』も録音しています。ビバップの闘士が、ヴァイオリンの甘い響きに包まれて、ゆったりとスタンダード曲を吹く。仲間の中には眉をひそめる者もいたといわれますが、本人はこの録音を気に入っていました。速さだけの人ではなかった証拠です。

1949年には、ニューヨークに彼の愛称をつけたジャズクラブ「バードランド」が開店しています。生きているうちに、自分の名前のクラブができた。

けれど、その体は、10代のころから続いた麻薬とアルコールに蝕まれていました。1946年には、ロサンゼルスでの録音のあとに倒れ、カリフォルニアの州立病院に半年ほど入院しています。退院後に書いた曲の題は『リラクシン・アット・カマリロ』。カマリロは、その病院のあった町の名前です。

1955年3月、パーカーは知人の部屋でテレビを見ているときに倒れ、そのまま亡くなりました。34歳でした。

亡くなってまもなく、ニューヨークの街のあちこちの壁に、ある落書きが現れたといわれます。「バードは生きている」。

よくある質問

Q. チャーリー・パーカーを最初に聴くなら、どの曲がいいですか?
1945年録音の『ナウズ・ザ・タイム』をすすめます。ジャズの基本形の一つであるブルースの曲で、テンポも中くらい。パーカーのアルトサックスの音色と、短いフレーズの切れ味がわかりやすい1曲です。慣れてきたら、同じ日の録音で、『チェロキー』の和音をもとにした超高速の『コ・コ』へ。

Q. パーカーの生涯を描いた映画はありますか?
1988年、クリント・イーストウッド監督の映画『バード』があります。パーカーの音楽と、麻薬に苦しんだ晩年までを描いた作品です。

まとめ

  • チャーリー・パーカー(1920〜1955年)は、カンザスシティ育ちのアルトサックス奏者。34歳で亡くなった
  • 16歳でシンバルを投げつけられた屈辱から練習を重ね、ニューヨークで和音の高い音を旋律に使う方法を見つけた
  • ガレスピーらとともに、踊るための音楽だったジャズを、聴くためのビバップに変えた
  • 愛称は「バード」。生前に彼の名のクラブ「バードランド」ができ、死後には「バードは生きている」と壁に書かれた

正直に言うと、私はいまでも『コ・コ』の速いソロを、一音残らず聴き取れているとは思いません。たぶん、これからも無理でしょう。ただ、聴き取れない部分があるからこそ、何度でも再生してしまう。パーカーで一度つまずいた人は、それでかまわない、と思って、もう一度だけ『ナウズ・ザ・タイム』から始めてみてください。

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