『グランド・オダリスク』の背中は長すぎる——アングルが「骨の数」より優先したもの

裸婦の絵の前で、どこを見ればいいのかわからない。
美術館で、そう感じたことはありませんか。じっと見るのも気まずいし、素通りするのも、もったいない気がする。
そんなときにおすすめしたいのが、この絵です。見るべき場所が、はっきりしているから。
背中を見てください。
肩から腰までの線が、ゆるやかに長く、長く続いている。美しい。けれど、自分の体と比べてみると、どこかおかしい。この背中は、人間の背骨の数では足りないほど長いのです。描いたのは、デッサンの正確さで19世紀フランスの頂点に立った画家、アングルでした。
背骨が「3つ多い」——1819年のサロンで笑われた一枚
『グランド・オダリスク』は、1814年、ローマで描かれました。
注文主は、ナポレオンの妹で、ナポリ王妃だったカロリーヌ・ミュラ。ところが翌年、ナポレオンの失脚とともにナポリの王家も倒れ、絵は注文主の手に渡らないまま、画家の手元に残ります。
パリの公式展覧会「サロン」に出されたのは1819年のこと。評判は散々でした。
ある批評家は、この女性は背骨が3つ多い、と書いたと伝えられます。腕は長すぎ、骨格はでたらめで、体の中に骨がないようだ。そんな声が並びました。
縦91センチ、横162センチ。横長の画面いっぱいに、女性が寝そべっています。こちらに背中を向け、首だけをひねって振り返る。その視線は冷たく、誘っているようで、少しも笑っていない。
ただし批評家たちの指摘は、半分は正しかった。
腕も、脚も、ありえない。それでも美しく見える理由
あらためて、体を順番に見ていきます。
まず背中。肩甲骨から腰のくびれまでが、異様に長い。次に右腕。カーテンに伸ばした腕は、肘から先がやはり長く、手首は骨がないかのように柔らかく曲がっている。そして左脚。右脚の下に組まれた左脚は、腰のどこから生えているのか、よく見るとわかりません。
実際にこのポーズをとろうとすると、どこかの関節が外れます。
それでも、全体を離れて見ると、不思議なほど自然です。むしろ、正確な人体で描いたら、この流れるような曲線は出ない。アングルが優先したのは、骨の数ではなく、線の流れでした。
頭から背中、腰、脚の先へと、一本の長い曲線が画面を横切っていく。体はその線のために、少しずつ引き伸ばされ、ねじられている。
私はこの絵を、最初は写真で見て「きれいな裸婦」としか思いませんでした。ところが「背骨が長い」と知ってから見直すと、もう普通の体には見えない。間違いを知ったほうが、絵の企みが見えてくる一枚です。
「デッサンは芸術の誠実さである」——線の画家アングルの頑固さ

アングルは1780年、フランス南西部の町モントーバンに生まれました。パリで新古典主義の巨匠ダヴィッドに学び、若くしてローマ賞をとってイタリアへ渡ります。
この画家の口ぐせとして知られるのが、デッサンは芸術の誠実さである、という言葉です。色は飾りにすぎず、絵の骨組みは線で決まる。生涯その考えを曲げませんでした。
それなら、なぜ人体をゆがめたのか。
矛盾に聞こえますが、アングルの言う「デッサン」は、目に見えたとおりに写すことではありませんでした。ラファエロをはじめとするルネサンスの巨匠に学び、理想の美しい形を、線で組み立てること。そのためなら、骨格のほうを線に合わせて動かしてかまわない。
晩年のアングルを訪ねた若い画家が、助言を求めたことがあります。返ってきたのは、線を引きなさい、記憶からでも自然からでも、たくさんの線を、という言葉だったと伝えられます。その若者が、のちに踊り子の絵で知られるドガでした。ドガは生涯、アングルを尊敬し続け、その素描を買い集めています。
正確さを誰よりも重んじた画家が、いちばん大胆に人体を引き伸ばした。アングルの絵の面白さは、この食い違いにあります。
同じ時代、パリでは若いドラクロワが、激しい色と筆の勢いで「ロマン主義」の旗手になっていきます。線のアングルと、色のドラクロワ。二人の対立は、19世紀フランス美術を語るときの定番の構図になりました。
東方に一度も行かなかった、「東方の女」
題名の「オダリスク」は、トルコ語に由来する言葉で、オスマン帝国の宮殿のハーレムに仕える女性を指します。
画面には、異国の小道具がちりばめられています。頭に巻いたターバン、手にした孔雀の羽根の扇、右端の香炉と水たばこ。ヨーロッパの人々が思い描いた「東方」の道具立てです。
ところが、アングル自身は一度も東方を旅していません。
旅行記や挿絵、ほかの画家の作品から、想像で組み立てた東方でした。19世紀のヨーロッパでは、こうした異国趣味の絵が大流行し、のちに「オリエンタリズム」と呼ばれるようになります。体が現実の骨格から離れていたように、舞台もまた、現実の場所から離れていたわけです。
趣味はヴァイオリン
ここで少しだけ寄り道を。
アングルは若いころ、故郷の近くのトゥールーズで、オーケストラの第2ヴァイオリンを弾いていました。画家になってからも、ヴァイオリンは手放さなかったといわれます。
ここからフランス語には「アングルのヴァイオリン」という言い回しが生まれました。本業とは別に、本気で打ち込んでいる趣味のこと。画家の名前が、そのまま「趣味」を意味する言葉として、今も使われています。
54年後、同じ背中がもう一度現れる——『トルコ風呂』

アングルには、背中ばかり描いた画家、という一面があります。
『グランド・オダリスク』の6年前、ローマで描いたのが『ヴァルパンソンの浴女』です。ベッドの端に腰かけた女性の、なめらかな背中だけが、静かな光の中に浮かんでいる。顔は見えません。
そして、それから54年後。
82歳のアングルは、円形の画面に、大勢の女性がくつろぐ浴場の絵を完成させます。『トルコ風呂』です。その手前の中央で、こちらに背を向けて弦楽器を弾いている女性を見てください。若いころの『浴女』と、ほとんど同じ背中です。

20代で描いた一つの背中を、80代まで持ち続けていた。線にこだわり続けた画家の、執念のような1枚です。
よくある質問
Q. 『グランド・オダリスク』はどこで見られますか?
パリのルーヴル美術館が所蔵しています。展示場所は変わることがあるので、行く前に公式サイトで確認してください。
Q. 背骨が「3つ多い」というのは本当ですか?
当時の批評家の言葉として伝えられているもので、実際に何個多いかを数えた話ではありません。それほど背中が長く見える、という指摘です。
まとめ
- 『グランド・オダリスク』は1814年、ナポレオンの妹の注文で描かれたが、注文主には渡らなかった
- 1819年のサロンでは「背骨が3つ多い」と酷評された
- 背中・腕・脚は解剖学的にはありえないが、アングルは骨格より線の流れを優先した
- 同じ「背中」へのこだわりは、20代の『浴女』から82歳の『トルコ風呂』まで続いた
裸婦の前でどこを見ればいいか迷ったら、まず背中の線を、肩から腰までゆっくりなぞってください。人間の骨では届かない長さが、アングルが200年前に仕掛けた、いちばんの見どころです。
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