なぜ『イーゼンハイム祭壇画』のキリストは皮膚まで病んでいるのか——修道院の病院に置かれた、グリューネヴァルトの十字架

マティアス・グリューネヴァルト『イーゼンハイム祭壇画』扉を閉じた状態の「磔刑」1512〜1516年頃、ウンターリンデン美術館(コルマール)
マティアス・グリューネヴァルト『イーゼンハイム祭壇画』扉を閉じた状態の「磔刑」1512〜1516年頃、ウンターリンデン美術館(コルマール)

焼けるような痛みで眠れない人たちが、担がれて礼拝堂に入ってくる。

手足の先は黒ずみ、皮膚はただれている。16世紀の初め、いまのフランス東部アルザス地方にあった村、イーゼンハイム。修道院の病院に運び込まれた病人たちが、まず向き合わされたのが上の絵でした。

十字架のキリストは、緑がかった灰色の肌に、無数の小さな傷を浮かべています。指は引きつって反り返り、両足は一本の釘で重ねて打ちつけられている。穏やかな聖人の姿は、どこにもありません。

祭壇に飾る絵が、なぜここまで病んだ体を描いたのか。

答えは、この絵を毎日見上げていた人たちの体の中にあります。

「聖アントニウスの火」——ライ麦のカビがもたらした病

イーゼンハイムの修道院を営んでいたのは、聖アントニウス会という修道会でした。

この会が力を注いでいたのが、「聖アントニウスの火」と呼ばれた病の看護です。手足が内側から焼かれるように痛み、やがて黒く腐って落ちる。幻覚やけいれんに襲われる人もいました。

原因は、ライ麦に寄生する麦角菌というカビ。毒の混じったパンを食べ続けて起こる中毒で、今では「麦角中毒」と呼ばれています。ただ当時は原因がわからず、神の罰とも悪魔のしわざとも考えられていました。

病人たちは修道院に集まり、パンやぶどう酒、薬草を使った療法を受けたと伝えられます。治らない人も大勢いました。腐った手足を切り落とす手術も、ここで行われていたとされます。

祭壇画を注文したのは、この修道院の院長です。完成は1516年ごろ。描いたのが、マティアス・グリューネヴァルトでした。

キリストの傷は、病人の肌と同じ形をしている

『磔刑』の部分。ひざまずいて指を組み、天を仰ぐマグダラのマリア
『磔刑』の部分。ひざまずいて指を組み、天を仰ぐマグダラのマリア

もう一度、1枚目の絵を見てください。

この「磔刑」の画面だけで、高さはおよそ2.7メートル、幅は3メートルあまり。祭壇の前に寝かされた病人たちは、人間より大きなキリストを、真下から見上げることになりました。

キリストの体に散らばる点は、むち打ちの傷とも、刺さったいばらとも読めます。けれど、絵を見上げていた病人たちには、別のものに見えたはずです。自分の皮膚にできた、ただれや腫れ物に。

神の子が、自分と同じ肌をして苦しんでいる。

この祭壇画が病人を慰めるために描かれたといわれるのは、そのためです。「あなたの苦しみを、キリストも引き受けている」。説教で語るより先に、絵が体で示していました。

まわりの人物も、静かではありません。左では白い衣の聖母マリアが気を失い、若い使徒ヨハネが抱きとめている。その足もとで、マグダラのマリアが、指が折れそうなほど両手を組み合わせています。

右に立つのは洗礼者ヨハネ。聖書の上では、キリストの処刑より前に亡くなっていた人物です。その人が本を抱え、異様に長い人差し指で十字架を指している。足もとには、十字架を抱えた子羊がいます。

いないはずの人が、いる。これが事件の記録ではなく、祈るための画面だからです。

キリストの体が周りの人物よりひと回り大きいのも、同じ理由でした。大切なものほど大きく描く、中世以来のやり方です。

観音開きの扉の継ぎ目は、十字架のすぐ脇を走っています。扉を開くと、キリストの片腕だけが向こうへ離れていく。病人たちが受けた切断の手術と重ねて読む研究者もいます。

では、扉の向こうには何があったのか。

扉を開くと、暗闇から光の画面へ

扉を1度開いた状態。左から「受胎告知」「天使の合奏と聖母子」「復活」、下段は「キリストの哀悼」
扉を1度開いた状態。左から「受胎告知」「天使の合奏と聖母子」「復活」、下段は「キリストの哀悼」

この祭壇画は、1枚の絵ではありません。

扉を開け閉めすることで、3通りの画面が現れる仕掛けになっています。ふだんは扉を閉じた状態で、あの暗い「磔刑」が見えている。教会の暦にしたがって、特別な祝日にだけ扉が開かれました。

1度開くと、景色は一変します。

左には、天使がマリアのもとを訪れる「受胎告知」。中央には楽器を奏でる天使たちと、幼子を抱く聖母。右端では、キリストが虹色の光の輪を背負って墓から舞い上がり、見張りの兵士たちがまぶしさに転げ回っています。

さっきまで傷だらけだった体に、傷ひとつない。

暗闇の画面から、光の画面へ。病人たちがこの順番で絵を見ていたことを思うと、扉を開くこと自体が、回復の約束だったように見えてきます。私はこの仕掛けを知ってから、閉じた「磔刑」だけを載せた図版が、どうにも物足りなくなりました。

さらにもう1度開くと、中央に修道会の守護聖人アントニウスの彫像が現れます。その両脇の扉にも、まだ絵が残っています。

化け物に囲まれた聖人と、片隅の病人

2度目に開いたときに見える「聖アントニウスの誘惑」。左下に、ただれた肌の人物がうずくまる
2度目に開いたときに見える「聖アントニウスの誘惑」。左下に、ただれた肌の人物がうずくまる

右の扉に描かれたのが「聖アントニウスの誘惑」です。

荒野で修行していた聖アントニウスが、悪魔の群れに襲われる場面。くちばし、角、ひれのついた化け物たちが、倒れた老人の髪を引っぱり、棒を振り上げています。

見てほしいのは、左下の隅。

腹がふくれ、全身に腫れ物のできた人物がうずくまっています。水かきのような足をしていて、悪魔の一人にも見える。ただ、その肌は聖アントニウスの火に冒された病人の姿だと、昔から解釈されてきました。

聖人が化け物に耐え抜く場面の、すぐ横に病人がいる。修道院の病人たちは、ここにも自分の姿を見つけたはずです。

それほどの絵を描いた画家のことは、ほとんど何もわかっていません。

「グリューネヴァルト」は本名ではない

本名は、マティス・ゴートハルト・ニートハルトだったとされます。

「グリューネヴァルト」という名は、彼の死から100年以上たった17世紀、ドイツの画家で伝記作家のザンドラルトが書き残したものでした。それが取り違えのまま広まり、今も通り名として使われています。

残っている作品は、ごくわずか。同じ時代のドイツにはデューラーという大スターがいて、その陰でグリューネヴァルトの名前は長く忘れられていました。

再び光が当たったのは、19世紀の終わりから20世紀にかけてです。1930年代には作曲家パウル・ヒンデミットが、この画家を主人公にしたオペラ『画家マティス』を書きました。祭壇画の「天使の合奏」「キリストの埋葬」「聖アントニウスの誘惑」を題にした交響曲版は、今もコンサートで演奏されています。

祭壇画はフランス革命のさなかに修道院から運び出され、近くの町コルマールへ移されました。

よくある質問

Q. 『イーゼンハイム祭壇画』はどこで見られますか?
フランス東部アルザス地方の町コルマールにある、ウンターリンデン美術館です。扉は開け閉めできない形に分けられ、各場面が並べて展示されています。開館情報は公式サイトで確認してください。

Q. 中央の彫刻もグリューネヴァルトの作品ですか?
いいえ。聖アントニウスたちの彫像は、彫刻家ニコラウス・フォン・ハーゲナウの作とされます。グリューネヴァルトが担当したのは、扉に描かれた絵の部分です。

Q. 「聖アントニウスの火」は今もある病気ですか?
原因がわかり、穀物の管理が進んだ現在では、大きな流行はほとんど起きていません。

まとめ

  • 『イーゼンハイム祭壇画』は、麦角中毒の病人を看護した修道院のために描かれた
  • キリストの傷だらけの肌は、絵を見上げる病人たちの肌と重なる
  • 扉を開くと、暗い「磔刑」から光あふれる「復活」へと画面が変わる
  • 「グリューネヴァルト」という名は、後世の取り違えから広まった

キリストの肌に散らばる点は、画家の悪趣味ではありません。絵の前に寝かされていた、誰かの肌の写しです。

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