上村松園『序の舞』——凛とした美人画と、明治を生きたシングルマザー

美人画は、きれいな女性を眺めるための絵。そう思っている人ほど、この『序の舞』の前で立ち止まることになります。緋色の着物で扇をかざす女性に、媚びた表情もあだっぽい仕草もありません。あるのは、まっすぐな背筋と伏せた視線、結ばれた口元だけ。描かれているのは顔の美しさではなく、何ものにも侵されない意志です。
描いたのは上村松園、61歳。「女に絵など描けるか」と言われた明治の京都で筆を握り、結婚しないまま子を産んで育て、70年以上描き続けた人です。女性として初めて文化勲章を受けたのは、亡くなる前の年でした。この静かな絵の後ろには、まったく静かではない人生があります。
「女が絵描きになる」が非常識だった京都で、茶屋の娘は筆を選んだ
上村松園は1875年、京都の生まれです。
生家は「ちきり屋」という葉茶屋、つまりお茶の葉を売る店でした。父は松園が生まれる前に亡くなり、母の仲子が女手ひとつで店を切り盛りしながら、二人の娘を育てます。
当時、女の子の将来といえば嫁入りが当たり前。絵描きになりたいと言い出した娘に、周囲は反対しました。ところが母だけは違います。絵の道具を買い与え、12歳での画学校入学を許しました。
京都府画学校。松園はそこで鈴木松年という日本画家に師事します。「松園」という号の「松」の一字は、この師からもらったものです。
とはいえ、画壇は男の世界でした。女性が展覧会に出品すること自体が珍しく、嫉妬や嫌がらせもあったといいます。展覧会場で自分の絵に落書きをされたことさえあったと伝えられます。
その環境で、15歳の松園に事件が起きます。
15歳の絵を、英国の皇子が買った
1890年、第3回内国勧業博覧会。明治政府が開いた産業と美術の大博覧会に、松園は『四季美人図』という作品を出品しました。四季それぞれの装いの女性を描いた絵です。
結果は一等褒状。15歳の少女の絵が、並みいる大人を抑えて賞を取りました。
話はそこで終わりません。来日中だった英国のコノート殿下がこの絵を気に入り、買い上げたのです。「京都の茶屋の娘の絵を、英国の皇子が買った」。この評判が、松園の名前を一気に広めました。
私はこのエピソードを知ったとき、絵そのものより「15歳で勝負の場に立っていた」ことに驚きました。反対されながら始めた絵が、5年もしないうちに家計を支える仕事になっていたわけです。
ただ、名声は松園を守ってはくれませんでした。20代の松園を待っていたのは、画壇の風当たりよりずっと重いものです。
父の名を明かさないまま、子を抱いて描いた

1902年、松園は男の子を産みます。27歳。結婚はしていません。
相手の名前を、松園は生涯明かしませんでした。明治の京都で、未婚の母になるということ。世間の目がどれほど冷たかったかは、想像に難くありません。陰口の中で、松園は子を育てながら描き続けました。
支えたのは、ここでも母です。孫を引き受け、娘が絵に向かう時間を守りました。松園は後年、自分の絵は母に育てられたものだという意味の言葉を残しています。
この息子が、のちの日本画家・上村松篁です。松篁も文化勲章を受け、その子の淳之も日本画家になりました。親子三代の画家。その始まりは、名前のない父と、筆を置かなかった母でした。
描くことをやめる選択肢は、たぶん最初からなかったのだと思います。
では、その松園が理想とした絵とは、どんなものだったのか。
『序の舞』——「凛とした」が絵になるまで
冒頭の緋色の女性に戻ります。
『序の舞』は1936年の作品です。「序の舞」は能や舞踊のゆったりとした舞のこと。派手な見せ場のない、静かな舞です。松園はそこに、盛りの色である緋色の着物を合わせました。動きは最小限、色は最大限。この組み合わせが、画面の張りつめた空気を作っています。
松園はこの絵について、何ものにも侵されない、女性の内にひそむ強い意志を描いたという趣旨の言葉を残しています。
美人画という言葉から想像されるものと、この絵は少し違います。媚びた表情も、あだっぽい仕草もありません。松園は自分の絵について「一点の卑俗なところもない絵」を目指すと語りました。きれいな女性を描くのではなく、気高さを描く。『序の舞』はその宣言どおりの一枚で、のちに重要文化財に指定されています。
未婚の母と陰口を叩かれた画家が、誰にも侵されない女性を描いた。この符合を、偶然と呼ぶのは難しいところです。
もっとも、松園の絵は「静」ばかりではありません。
『焔』と『蛍』——静かな画家の、静かではない引き出し

1918年の『焔』(ほのお)は、松園の作品の中で異彩を放ちます。
描かれているのは、能『葵上』に登場する六条御息所。嫉妬のあまり生霊になった女性です。長い黒髪を口にくわえ、蜘蛛の巣模様の着物をまとって振り返る姿は、美人画というより幽霊画に近い迫力があります。40代の苦しい時期に描いた絵だと本人が振り返っています。
一方で『蛍』のような絵もあります。夏の宵、蚊帳のそばの女性が、飛んできた蛍にふと目をやる。それだけの絵です。事件は何も起きていません。ただ、着物の柄から指先まで描き切ったうえで、体温まで伝わってきます。
激しい情念も、日常の一瞬も、同じ画家の引き出しにある。『序の舞』だけ見て「上品な美人画の人」と括ると、この振れ幅を見逃します。
その引き出しの全部が評価されるのは、最晩年のことでした。
女性初の文化勲章、73歳。翌年、絶筆
1948年、松園は文化勲章を受けます。73歳。女性としては初めての受章でした。
12歳で画学校に入ってから、60年あまり。「女に絵が描けるか」の時代に始まったキャリアが、国の最高の栄誉で締めくくられた形です。翌1949年、松園は74歳で亡くなります。死の直前まで絵筆を持っていました。
没後70年が過ぎ、松園の作品は今、著作権が切れてパブリックドメインになっています。この記事の絵を自由に載せられるのも、そのおかげです。
絵は残りました。あとは、見るだけです。
よくある質問
Q. 『序の舞』はどこで見られますか?
東京藝術大学が所蔵しています。常時展示されているわけではないので、公開のタイミングは展覧会情報で確認してください。松園の作品をまとめて見るなら、奈良の松伯美術館(松園・松篁・淳之の三代を扱う美術館)も候補になります。
Q. 美人画とは何ですか?浮世絵の美人画と同じものですか?
女性の姿を主題にした絵の総称です。江戸時代の浮世絵美人画の流れを受けつつ、松園は「きれいな女性」ではなく品格や意志を描く方向へ進めました。本人が卑俗さを徹底して嫌ったのが特徴です。
Q. 上村松園の名前の読み方は?
「うえむら しょうえん」です。本名は上村津禰(つね)。「松園」は画家としての号で、師の鈴木松年から一字を受けています。
まとめ:緋色の着物に戻る
- 上村松園は1875年京都生まれ。父のいない茶屋の家から、女性画家がほぼいない画壇に入った
- 15歳の『四季美人図』が博覧会で一等となり、英国のコノート殿下が買い上げた
- 未婚のまま息子(のちの日本画家・上村松篁)を産み、母の支えで描き続けた
- 『序の舞』は61歳の作。品格と意志を描く松園の美人画の到達点で、重要文化財
- 『焔』の情念から『蛍』の日常まで振れ幅は広い。1948年、女性初の文化勲章
もう一度、冒頭の『序の舞』を見てください。扇をかざした女性の、背中の線だけをたどってみる。一本も揺れていません。あの線の強さが、この画家の70年です。
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